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力点の分散と引き出しの数
 僕は学生時代の終わりまで本を全く読まない人だった、なんていう話を以前ここで書いたと思う。本は読まなかったけれど、あるポップソングの歌詞で文学に触れていました、っていうような話。触れていました、という表現で間違いはないのだけれど、そこには僕なりの接し方があった。

 僕は良いと思ったものは何でも自分で試してみたり自分のものにしてみないと気がすまない性格だ。おまけに熱しやすくて冷めやすいという傾向もある。でも一度着手したものは何かしらの形になるまではしつこく追及しつづける。周りがどう思おうと、自分が納得したらようやくお腹が膨れるみたいだ。
 そんな性格だと、必然的に趣味が増えていく。趣味になるきっかけは千差万別だけど、とにかく強い憧れから入ることが多い。釣り、ギター、音楽鑑賞、アクアリウム(水槽に水を張ってアレコレすること)、小動物。これらはまだ「趣味」という名目にカテゴライズされるけれど、他にも趣味とはいえないけれどスピリチュアルな部分では趣味と同じくらい拘って追求してるものが数多くある。例えば収納も含めて部屋をデザインすることだったり。そして今回言及しようと思っている「ポップソングの歌詞のリメイク」もそのうちの一つだ。

 僕は当時(高校生の終わり頃だったかな)スピッツの草野正宗という人の世界観や言葉使いに共感し、同時に憧れていた。インターネットで歌詞解釈のページを眺めてみたりもしたけれど、僕の感じ取っているものを伝えているページはどこにもない。伝わらないものを「良い」と言うのはひどく体力を消耗することなので、僕は滅多なことではスピッツが良いと、草野氏の歌詞が良いと人には言わなくなった。それでも留まることを知らずにあふれ出る感動や知的好奇心を満たすために僕は「模倣」をやってみた。

 まずは草野氏の歌詞を音楽CDの歌詞冊子を見ながら鉛筆で丸写しすることから始まった。当然のことながら、冊子に印字されているものと自分の字で書いたものとではまるで印象が違う。このことには少なからずショックを受けたけど、僕の好奇心はそれ以上に強くなった。次に草野氏の歌詞の中の一部を僕なりの言葉で置き変えてみたりもした。そしてそのうちに形式だけは歌詞みたいに見えるようにして、あとは自由に自分の構成でオリジナルな詩をつくるようにまでなった。もちろんこれも模倣の範囲内で、常に草野氏っぽい言葉、言い回しってなんだろう、ということを考えながら言葉を選んでいった。
 
 飛行機の好きな少年がプラモデルで飛行機を組み立てるようなものだけど、僕はそれを承知で模倣を続けた。大学に入ってから、同じくスピッツへの憧れがきっかけで、軽音楽サークルに入った。もちろんスピッツの曲を演奏するためだ。これも歌詞と同じく模倣に値する。僕という人間はとにかく模倣から入るみたいだ。
 楽器を弾くようになってからは、いつかはオリジナルの曲を作ってみたい、と思うようになった。オリジナルの曲を作るなら歌詞もオリジナルでなければならない。さらに、模倣を数年続けていると、自分と草野氏の決定的な「違い」もだんだん分かるようになってくる。だんだん限界を感じるようになり、模倣を続けることの意味もわからなくなってくる。そうして今度は草野氏をできるだけ意識しないようにしながら歌詞を書くようになった。
 オリジナルとはいっても曲なんて急にはできなかったので、とりあえず何かを書くためにその原型となる曲が必要だった。自由に書くのとリメイクとはかなりのギャップがある。だから僕は草野氏の曲に限らず、ポップソングの歌詞のリメイクをするようになった。曲の雰囲気から文字数や段落まで全てを考えて、その曲に合う歌詞を自分の言葉で考えるのだ。

 オリジナルを作ろうと思うと、今度はオリジナリティと模倣との境界が分からなくなってくる。僕はそれまで歌詞を書くこと以外に言葉や構成を意識しながら文章をかくことが全くなかったので、今までお手本にしてきた草野氏の影響がどうしても残ってしまう。何かを創作しようとするとき、この問題は宿命的に存在しつづけるのではないかと思う。個性というのは意図しないところに浮かび上がってくるべきものであり、意図するところで何かを理解したり模倣したりすることこそが意味のあることだと思う。もちろん僕がその域にまで達しているなどと自負しているわけでは毛頭ない。

 話が逸れてしまったけれど、模倣から始まって歌詞のリメイクに至った僕なりの「文学との接し方」は草野氏の詞のより深い理解をもたらしてくれたし、多少本を読むようになった現在の僕への橋渡しという意味でも重要だった。僕の書いたもの自体は今読み返してみると稚拙なものが多い上に、題材がどうしても恋愛系に偏ってしまうので恥ずかしくてとてもじゃないけどこんなところには掲載できない。なんて思っていたんだけど、もし掲載するとしたら逆にこんなところ以外ではするところなんてないんじゃないか、とも思うようになった。既に小説もどきも掲載しているわけだし、よくよく考えてみると今の僕に怖いものなど何もないはずだ。いずれ話のネタがなくなったら掲載してみようかな。もちろん、コメント不可で。

 歌詞のリメイクに限らず、僕は結構色んな分野で同じようなことをしている。力点が分散しすぎていて結局何をやってきたのかよくわからない青春時代だったような気もする。でも、何事に対しても、自分なりに物事の本質に触れたり理解したりするまではできる限り偏見を持たなかったし、興味の対象外にすることも少なかった。このことは悪いことではなかったかな、なんて思う。一度必死になって取り組んだことは、長い時間が経過したあとでも意外にすんなりと始められる。色んな引出しをもっておくのって、悪いことじゃないと思う。

猫「コメント不可で。ってところでイラっとした人、いると思うな」
by cuckoo-clock | 2006-08-09 19:49 | 薄闇に想う
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